自作系移住支援 - 事業コラボの村 - 100万円の家作り

ソーシャルビジネス系 資本力に関係なく社会問題に取り組む事業や個人に対し、「低予算で住宅や設備を作れる自作環境」 を提供して行きます。 

ありふれた出会いの奇跡

ある時、渋谷のバーのカウンターで一人ビールを飲んでいた。
 
近くに若いインターナショナルの男女が座っており、初デートなのか、
日本人の男性はハイテンションで自己アピールを展開していた。
 
他人の会話に聞き耳を立てていた訳ではなく、なんとなく聞こえて来たという感じだろうか。
男性は非常に声が大きくなっていたから。
 
どこの大学でBAを取ってから、何々の論文で博士号を取り、その時のトレーニングは最高で博士も最高、街の雰囲気もクール。しかし、それでもまだ満足できない彼は更に大きなチャレンジを求め、何々の分野に志願してなんと奨学金が出るわ、研究設備の驚く程の近代性に魅了された。
 
相手が誰でも構わず、着ているスーツに説得力を持たせる所謂プレゼンテーションの類なのだ。同じ話を様々な相手に聞かせて来て、その都度聞かせた相手の顔を忘れてしまうような話しぶりだった。
 
彼は海外の短期滞在にてアメリカ式の人工的な情熱と大風呂敷広げを学んで来た田舎者と見て間違いなかった。
 
そこにはハンサムボーイから学び取った事に大げさな関心の演出もある。
「ええ?君もあの街を知っているだって?それはものすごい偶然だねえ!」 
内心、同じ大都市を訪れる人の数を知っているし、ものすごい偶然だなんて思っていない。
これもコム二ケーションスキルの宣伝だろう。
 
しかし、そういう彼が急に静かになった。
 
あまりに急に静けさが訪れ、落差が激しかった為、こちらも注意をひかれたのだ。
 
実はまだ必死に続けようとしていた。しかし言葉は彼の意に反して途切れ途切れになってしまった。一分間程頑張った後、彼は降参した。
 
降参した彼は彼自身であり、そこにはその前までとは別の人間が現れ始めていた。
 
顏には大きな葛藤が現れていた。
 
僕は彼が見る方向を見て理解した。
 
相手の女性は彼を見つめていたが、本物の個人的な関心を持って彼を見つめていたのだ。
 
彼の肩書も成績も彼女には左程興味はなかったのかもしれない。その関心は彼の人格に注がれていた。
 
僕にとってそれはそこまで目新しいものではなかった。
 
女性はおそらくオーストラリア人だったと思う。
家族と友人達に親愛の情を注がれ、独自の成長への関心を持たれて育った人間は、他の人間を見る時も、人格への強い関心を持って見る。
 
文化の違いだったと思う。
 
一方は他の誰によっても代用できない特別な存在として育っており、
もう一方は成績次第で何者かであるか、何者でもないかが決まるプレッシャーを耐えて必死に生きて来た人間だった。
 
彼は海外を経験しているような事を言っていたが、その実、恰好を真似る事に一生懸命で、他の文化にある深い価値観と出会う事がなく、不思議にも、日本に帰国してから、初めての接触を経験した、まさにその瞬間だったと見て間違いない。
 
この発見は彼をまごつかせ、深く動揺させた。
 
彼は初めて個々の「人」に対する関心を感じ、衝撃を受け、言いようも表せない深い感銘に打たれていた。
 
何かが彼の中で一瞬にして目覚め、声音が少年のように変わった。
 
彼は本当の自分を知ってもらいたいという強い願望を感じていたが、同時にそのままの自分を素直に表現する手法を何も持ち合わせていなかった。
 
独自の世界を自分の中に探したが、湧き出るものは何もなかった。
 
その何かを知った途端、彼が猛烈な憧れと渇望を感じたのは確かだった。
 
彼は本物の自分を発見してもらいたかったのだ。
 
しかし、自分のものだと感じられるものが見つからず、空を掴み喘いだ。
 
何も無かった。
 
今度はその発見は彼を一瞬にして悲しみと絶望のどん底に突き落とした。
 
出会ったばかりの希望は本来のものであり、
それを目の前に、自分の素養の貧しさを自覚しなければならないのは何とも皮肉な事だった。
 
彼は自分に向けられる明るい好奇心を見て一目惚れしてしまったのだ。
自分を同じ人間の仲間だとして見て欲しかった。
 
これほどの内心のドラマがあかの他人に見える事は非常に稀であるけれど、同じようなシチュエーションを多くの人がどこかで経験して来ているので、見えてしまう事がある。
 
無意識が求めて続けて来た究極の出会いを前に、
自分の声を探し、見つけられない中で、
これまでに一度も経験した事がない希望と絶望が衝突し合う混沌の中で喘いでいた。
 
思い込みではない紛れもない事実だった。
 
関心の目は彼の中から生まれようとするものに向けられている。それが女性が生きて来た世界では人間が生きる正当な領域であり、その事は彼女の自然体がよく表していた。
 
過去を生きて来た世界が音を立てて崩れ落ちた。
 
不思議な数分間が無言の内に流れた。
 
その間に女性の関心の目はひと時も彼を離れなかった。
 
彼は何度も不安と希望が入り混じる眼差しで彼女を見上げ、そうしている事を屈辱的に感じた。 
 
カウンターを見ようとしたが、目は自然と彼女の方に惹かれてしまうのだ。
 
静かに見つめる目はずっとそこにあり、本物であり、美しかった。
 
彼は何かを言おうとしたが、声は震え、まるで自分の声ではなく、そのまま嗚咽になってしまいそうだったのだろう、諦めた。
 
内心の動揺を隠せない事に彼はひどく狼狽した。
自制心と心のここまでの逸脱は誰も支配できないのだ。
 
嘆きなのか怒りなのか解らなかった。
絶望なのか希望なのか解らなかった。
絶望から救って欲しかった。
本物の生命への欲望もあった。
 
人生を失うか得るかの重大なチャンスの前に自分が立たされていた。
 
その時に女性の目の奥底に共感と理解の光が輝き、彼を励ました。
 
「大丈夫だから。」
 
彼女には彼の中で起こっている事が見えていた。
彼の深い秘密が見えただろう;その表情には秘密を知った者の責任感が現れていた。
彼女の手は彼の肩に置かれていた。それは、立ち会う事を伝える表現だった。
 
ようやく彼にも解った。
欲望と渇望で得ようとしなくても、別の現実は自然に当たり前にそこにあるのだと。
 
自分の生命がかかっている瞬間に、心の中を見られようと悲しみを見られようと、決して恥ずかしくはない単に人間的な事であるのだと。
悲しみの原因である悲劇にせよ些細なものではなく、実在する大きな悲劇の一部だった。
 
彼女は決して上からの目線で同情はしなかった。
彼を人間的に高く評価している事を態度で表した。
 
一目惚れに見えた事は、もう一つの世界の生きた時間の一コマでしかない事を彼は理解し、心底ショックを受けたのだったが、この事に気づいた瞬間から、彼は恋感情だと思ったものを自制した。
そういう彼は立派であり、その雄々しさは彼の本当の人格だった。
彼から多くを奪った世界は彼から全てを奪ったのではなかった。
 
世界は広かった。
過去を生きて来た世界は一体何だったのだろうか。
それを考えると絶望を禁じ得ないのだったが、
彼はこの瞬間前を向き新しい人生に吸い込まれるように入って行く事を決心したようだった。
 
苦しくはあったが、嬉しくもあった。
何もドラマチックに見せる必要もなかった。
彼は立ち上がり、悲しみを振りほどいた。
 
もう声は震えていなかった。
 
「新鮮な空気を吸いたくなったのだけど、ちょっと街を散歩しないかい?」
 
「いいわね、行きましょう。」
 
二人は金を払うと風を切って外に出て行った。
 
偶然に居合わせた僕は、最初に見たのと後で見た二つの別の顔を照らし合わせていた。
 
一人の人間が生まれ変わった瞬間に間違いなかったが、
人生にはこのような普通の一コマがあり、明日はまた変容し成長して行くのだろう。
よくよく考えれば、人は朝起きる毎に新しい自分に生まれ変わっているのであり、止まらない時間を生きる事程当たり前な事はないし、人生の中で何度でも脱皮を繰り返す生き物なのだ。