自作系移住支援 - 事業コラボの村 - 100万円の家作り

ソーシャルビジネス系 資本力に関係なく社会問題に取り組む事業や個人に対し、「低予算で住宅や設備を作れる自作環境」 を提供して行きます。 

自作系移住支援 - 法面バケット ー 勾配レベラー - レーザー・レベラー

法面バケットを製作しました。

 

 

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勾配レベラーを付けておいた方がいいです。

 

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更にはレーザー・レベラーも付けると便利。

 

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こういう事が建物の水平を素早く能率的に作る為に結構役立ちます。

那須 - 開拓拠点

< 哲学 >

農業は土作り。
家は基礎作り。
社会は人間関係の基盤作り。
人間の協力においては、自由についての理解作り。

ー ここで開拓が行われている土地に関しては、所有者による決定権の独占はありません。ー

工夫から経済活動を生もうという面白いチャレンジに取り組んでいます。

土地は三等分し北から

1)ビジネスの拠点、足場拠点

2) 教育部門の拠点 

3) 芸術やセラピーの拠点

となっていますが、

注目すべきは 1)の開拓拠点の足場機能のシェアリングです。

足場として活用する事により、活動が敷地内に留まる必要が全然ありません。

周辺に自由に安い土地を購入して開拓する事が可能になります。

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建設用の「足場拠点」を設ける意味は、

この場所の建設を可能にするだけでなく、入植者達それぞれ独自の計画にて活用される為でもあり、

ー 自分が輝くだけでなく、他者が輝く事に協力する目的があるからです。 - 

その様な斬新な意識をここまで明瞭にしているグループは那須塩原は広しと言えど、ここにしかない事を強調したいと思います。

一つの土地の開拓への固定はなく、

周辺に独自の計画を実現しようという人が、ここを「足場」として利用できるようにする事が目標です。

志を一番上に置く事によって活動の健康が保たれると考えます。

資本を持つ人には資本を使う事の正当性があります。

しかし、資本を持たない人も、チャレンジャー精神にて大きな事を達成する醍醐味を持つ必要があります。

両方の道がないと社会のエネルギーは半減します。

現在、このプロジェクトの興味深い点は、

土地を購入した時点で資金は底をついている事です。

それにも関わらず、

もうじき「色々な提供を行える状況」に漕ぎ着けるでしょう。

一般常識からかけ離れたプロセスを辿っています。

計画ミスではなく、元々そのように計画を立てました。

< 道具の共有 >

今のところ自分の強みがある部分での提供がその全てです。

● 放置田畑開墾 
自分達で開墾できれば安い土地を購入できます。

あり:油圧ショベル、ブルドーザー、など。
予定:ハンマーナイフ実装。

ー 開墾は重労働であり、重機がなければ、大勢の体力でも間に合いません。その為に重機を集めています。ー

● 基礎建設
基礎は一般的には非常にお金がかかりますが、自分達でやれば非常に安くなります。

あり:ダンプトラック、シューター、キャタピラダンプ、型枠。基礎コンクリートを打つ事ができます。

ー 機材をレンタル屋さんで借りると、自分でやる場合にも相当なお金がかかりますが、ここではレンタル費と人件費がかなり節約されます。ー

● 建設
あり: クレーントラック、鉄筋関連、大工関連 予定:キャタピラ車にクレーン装着。

ー 運搬もお金がかかる部分ですが、ここではトラックがあります。クレーンも二階建てまでは対応できます。クレーン車を頼むと一日に4万以上です。- 

● 材木  
あり: 原木の購入ルート。 予定:製材機制作、大工小屋。

今年の目標である製材環境により、費用が原木の丸太と燃料費だけになります。

現在、木材は大変値上がりしており、10M四方のウッドデッキを作るだけでも本職に頼んだ場合100万、ホームセンターで材料を購入して自分で作っても数十万、という世界です。

ー 原木をトン単位で購入したものを製材すれば、数十万で大きな建物一軒に足りるだけの材料が確保できます。ー

● 重機、農機具修理
あり: 鉄工設備、切断、旋盤、溶接、等。建材。
予定: 修理場の移転拡大。鉄骨建設。

沢山ある機材は人件費を節約してくれますが、メンテナンスが課題になります。

今年は100万の予算で三件倉庫や作業場の類を建てます。

そちらの進行状況。

根切りと土台が三件とも完了したところです。

その他も600坪くらいの放置竹林を伐採し、綺麗にしてあり、いつでも建設計画を持って来られる状況です。

来年からは、

ー 一般には1千万以上かかる規模の牛舎でも究極にはその10分の1の予算にて作る事ができます。ー 

修理ができれば、農機具の購入も中古の値段に抑えられます。
修理もエンジンのオーバーホールまでカバーできます。

なぜ節約に貢献したいのか。

借金をなないでできた分を業績拡大とその利潤を「文化的な発展」に充てて欲しいと言えるようになりたいからです。

シェアリングや一石二鳥の開拓によって、それぞれがビジネス強化する事は多様な起業環境を生む場合には、当然ながらしなくてはいけない事です。

仕事をしても貯金を作るのが大変な今日において、お金が溜まってから起業するのでは年取ってしまいます。
これが起業が活発にならない事の最大の原因です。

このプロジェクトに対して協力できる事:

足場部門では、「人に協力するプロジェクト」への協力となるかと思います。

骨がある若者に声をかけてみて下さい。

出筆活動も行っています。

キャンプヒルなどの体験を綴ったものが草の根で読まれていますが、

校正などが追い付いていません。

独自の趣旨を持つ人との出会いを求めているので、

繋げて頂けるのも非常に嬉しいです。

最初の一番大変な時に、全てに共同で関わる人に対しては当然ながら全てがタダであり、独立した対等なパートナーとして見なします。

精神は形になるものなので、すぐに実際的な話にならなくても、一期一会の長期の交流を大切にします。

最後に:南米からの移民の人の言葉。

ちょっと大袈裟ですが、工夫にあるチャレンジを志す若い反骨の精神をよく表していると思いました。

「既に道が切り開かれたところを大勢で歩く事は容易いが、拾いものも小さい。
道がないところに道を切り開いた人が金鉱山を掘り当てる。」

洋式大鎌 Scythe は本当に凄いのか? その2 メンテ編

洋式大鎌を持ち出す事の発端は自分でも少し意外です。
子供の頃の印象は本当だったのか知りたくなったのがきっかけです。

子供ながらに「便利」だと感じたけど、本当に便利だったのか?

再び実物を見て発見があり、意外さにびっくりしました。

 

ー 洋式大鎌は「素材としての切れ味」は足りない!ー

つまり炭素分が少ない。炭素が少ないのでは、刃こぼれは減るかもしれないけど、いい研ぎ味にならないではないか!ー

と思いますよね?
僕の最初の印象がそれです。

それがドッコイ。
色んなビデオが見せる通り冷鍛冶をやってみると、炭素分をもう少しと思う部分を圧締がカバーし、ちゃんと我々が知る「ゾクゾクする研ぎ味」というものになるのです!

それをしないと刃が柔らか過ぎるのです!

つまり、メンテを含めてこういう事に意識を促さないと、
知らない人の間では伝わって行きませんし、それほど凄いものとしても実感されない事があり得るという事です。

意図も軽々しく扱っている人々には当然メンテのノウハウ的なものがあります。

切れ味を犠牲にするなど刃物として失格だと思わせた程、材料に粘りを持たせてあり、薄い刃に対して何度曲げてもいいようにしてあるのです。

でも軟鉄とかじゃありませんし、ばね鉄みたいな弾力も持たせてあります。しかし弾力や固さの全てを炭素分と焼き入れによって持たせている訳ではなく、よく見ると、形ができた後に、冷ました状態で叩いてあります。

だからすべてが計算づくの「適度」なのです。

ー 洋式大鎌は一見ぞんざいに作られているように見えて、その中身は意外と奥深かった。ー

柔らかめの炭素鋼だと石にぶつけたりして曲がります。

日本の刃物なら刃こぼれしますが、
洋鎌は曲がる事で対応するので刃こぼれの度合いは薄物からは想像できない程強いです。

刃こぼれはしないと言いませんが、その薄さに対しては本当に少ないです。

しかし、そうやって曲げたり戻したりを繰り返していては金属が疲労骨折するのでは? 繰り返してクドイようですけど、相当そういう事を繰り返しても大丈夫な粘り強さにしてあります。

叩き直すハンマーとカナトコになるもの(何でも)は作業の必需品です。トントン叩けばすぐ元の形に戻るという考え方をモロ肯定的に受け入れている独特な戦術です。

刃を研ぐ発想しかない我々にとっては、刃先を叩く事による硬化など思いつかないので面白いです。

冷めたものを叩く発想は鉄刃物よりは、古代の青銅刃物に普及していた考え方だと思います。

金属で色々作っている人や技術系の人は、こういう話を面白いと思うと考えたので書きました。

日本刀も凄いですけど、洋式大鎌は別の用途にて長年の経験と工夫により磨き抜かれた道具である事が手に持ったその瞬間から解ります。安物でも解ります。

日本と共通しているのは研ぎや切れ味に求めるところです。
扱いが正しくないと能力を発揮しないのは、日本の刃物と同じです。

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洋式大鎌 Scythe は本当に凄いか 1)(エコ)

大和魂ならば知っている事ですが、
日本のものは固い鋼を粘りのある柔らかい鉄でサンドイッチしてあります。
日本刀の技術であるところを鉈や鎌など一般的な道具にまで応用してしまうのが日本の手ごわいところです。
元来日本は一般作業向けと言ってぞんざいにしないですね。
そうして鋼の切れと折れない粘りを両立します。

 

エンジン刈り払い機の良いところは、チップソーが丸鋸として機能する事で、枝が5cmあろうと長く当てていればバッサリ行く事;丸鋸として対象に近づけるのですごくピンポイントな作業が可能な事などです。

刃が薄い事は、包丁で薪割りに挑戦するようなケースにては感じられます。

そういえば、
南米にはマチェーテなる刃厚通常2,3ミリ厚、刃渡り45cm程もある大型の通称「刀」がありますが、それも環境に応じて強いもので、青竹をやったり、比較的に柔らかい植物のジャングルを切り開いて行くのに適しています。
包丁と薪割りを想像すれば解るのですが、

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当然ながら、刃厚がない方が抵抗が少なく、長時間の使用にて疲れないというプラスの側面があるかと思えば、同じ特性が硬くて太いものに対しては食い込み過ぎて抜くのが手間というマイナスの側面を持つものです。

マチェーテが長い理由は、薄くても適度な重量を持たせるという観点と、かぶれを起こすような草花に手や身体を近づけたくないという観点;毒蛇の牙、ジャガーの爪、その他の動物の脅威に対して武器とした能力を持たせているという事です。

洋式大鎌の利点も似ているところがあるかもしれません(笑)。草むらに身体を近づけなくていいのは気持ち楽ですね。今の日本人は脚が長くなってしゃがんでいる事が結構苦手です。

 

三週目くらいの笹をブッシュ専用でない草用の洋鎌でやってもバッサバッサ行くところなどが「予想していたよりはるかに」というところです。
試して発見するのが楽しいと思います。

 

僕には別に先入観というものはないです。
たかが道具、されど道具みたいなところで、
他の正当な道具に対抗させるよりは、
除草剤による土壌や水質悪化に対する策として
意味を持ち得る事を感じると繰り返して来た次第です。

道具が増えて来ると、エンジンいじりが好きな人間でもキャブ清掃などに疲れる事があります。
田舎では刈り払い機以外に季節の道具が一連あります。
チェンソー、発電機、耕運機、ランマー、運搬車、等々等、ガソリン系の道具がずらっとあり、燃料を抜かないで冬越えさせたりするとガソリンの固形分が詰まったりしていちいち分解清掃する羽目になります。
偉い人は、一連の道具の燃料を最後まで燃焼させたり、定期的な吹かしを忘れませんし、イシイも忘れない時は、朝から12台とか連続でエンジンをかけて回ったり、メンテをして回りますけど、追い付かない時も多いです。

チェンソーと刈り払い機のキャブは精密機器のようなもので、2サイクルエンジン特有のあの要点この要点があり、忙しい人に限って欲しい時に使えないなどという事態に至り易いです。
修理は時間がかかり、その間にそこいらの草が気になります。

思うに、洋鎌は忙しい人の良きオプショナル・アイテムです。

騒音に弱い人、振動に弱い人、エンジンに弱い人にも役立つと思います。

刃は簡単に外せるので、子供がいる環境では、外して引き出しにでも保管しておけばいいです。

 

長く前置きしました。

 

写真のような状況では

洋式大鎌の作業スピードは、

なんとエンジン刈り払い機の倍くらいだったりします!

 

しかし、それには正しい手入れをしないといけません。

是非パート2をお読みください。

100万円の家 は全然夢ではないです

100万円の家は全然夢ではないです。
 
今日は雨。
基礎の天辺は面を出しておらず鉄筋が出ているままですが、これは失敗ではなく、内側にガラを入れてプラットフォームにし、最後に箱の蓋をするような構造にする為です。
(隣の建物と落差があるので、70cm程かさ上げをします)。...
コンクリート代がここまでで2万円くらい。
ベタ基礎風に天辺を塞いで追加の2万プラス鉄筋に1万くらいでしょうか。
= かれこれ5万円の基礎です。
ここは作業部屋上物を軽鉄骨で作って全部で15万円ですね(その程度で悲鳴を上げている現状ですが)。
しかし、一般の住宅なども、
帯基礎の材料費までなら10万そこらで行くのかもしれません!
そして製材設備ができれば、100万円という価格が見えて来ます。
そのような【夢を可能にする工作環境】、【自作系移住支援】を構築するプロジェクトをしています。
早く事業起こしに持って行きたいですね!
他にも意志とアイデア+【行動力】がある人々を歓迎して、徐々に大きくなって行ければ。。。不可能な事は無し!!!
 
恵まれていて、ひと時も忘れないのは
 
● ネット難民や、家を追い出されて泊まる家がない人々。
● 何十年分の住宅ローンを組んだ後にリストラされて支払いに滞り破産申告をする事になった人々。
● そして親の負債を返済する為に、過労死する危険をおかして理不尽な労働条件に耐える子供。
● 今も仮設住宅に住む福島の人々。
 
那須」はそれらの人々と1時間の距離にあり、些か田舎ではないです。
都会田舎と呼びます。
素敵な自然の中に引きこもり世界を忘れるのも時には気持ち良い事ですが、それだけが那須の魅力ではありません。
 
都会田舎では都会とリンクした文化的、経済的な活動が可能です。
 
自分の事しか見えない世界と決別したい人、
友人達、協力者達と切磋琢磨したい人、
事を起こしたいという勇気と行動力がある人を、
常に募集しています!
 
たーてんぶんだプロジェクト in 那須
 
email:  ehi_ishii2000@yahoo.co.jp
 
 

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アフォリズム

一期一会の精神を全うし続けたら、

世界から凡人という概念は消え、

未来の天才達が現実の人達として登場するだろうし、

孤独も解消し、世界は楽しくなるだろう。

 

 

人の姿は過去、現在、未来のどこにあるか? 

共に未来を創造する中にその答えが見つかる。

人の未来を想像しなければ共の創造はできない。

想像し、訂正される事を繰り返すべし。

 

 

呼吸をしなければ「阿吽の呼吸」も生まれないですね:

魂が人と人の間で「呼吸」する。
対岸でも構わない;呼吸できる。

 

 

究極なエゴにとっては、自分が幸福である為には友が幸福でなければならず、

友が幸福であるには、友の友も幸福でなければならない。
幸福を諦めてしまうのはエゴを知らない人。

 

 

「経済」は「文化」に仕えるもの。

経済は血液循環であり、
主役は生命および人間全体としての活動。

ー どこまでも謙虚と脇役に徹底する経済は尊い。ー

 

 

学費の無料化は感謝を社会に還元したい人を増やし、
逆に借金や飢餓への不安は、保険となる備蓄を無限に増やしても不安な人を増やす。
哲学は体験から生まれる。。。

 

 

家は基礎作り、畑は土作り、
コミュニティーは人間関係の基盤作り。
後に見たい芽の種を蒔く事が肝心。
作るプロセスに全てがある。

 

 

 

百年かかる課題は、

百年で達成するよう基礎からのプロセスを考える必要がある。

プロセスを飛び越し、結果だけ謳っていると、五百年かかる。

 

 

 

「弱者」を見捨てる日本とは言うけど、

「弱者」と呼ばれているのは、
社会貢献を社会に拒否されている人々。

そこの「意識」が変わらなければ、
誰も滅びる国を救えない。

 

 

 

日本より余程貧しい国でも、地域社会がある国では餓死は殆どない。
社会の役割を忘れた日本では年間に千人以上餓死している。
精神的な先進国にならないといけない。

 

 

 

人は人の役に立ちたいから仕事をする。

餓死する恐怖故ではない。

人工の不安に駆りたてられ、

安定故に全てを受け入れるようになり、

今の狂気に至っている。

 

ありふれた出会いの奇跡

ある時、渋谷のバーのカウンターで一人ビールを飲んでいた。
 
近くに若いインターナショナルの男女が座っており、初デートなのか、
日本人の男性はハイテンションで自己アピールを展開していた。
 
他人の会話に聞き耳を立てていた訳ではなく、なんとなく聞こえて来たという感じだろうか。
男性は非常に声が大きくなっていたから。
 
どこの大学でBAを取ってから、何々の論文で博士号を取り、その時のトレーニングは最高で博士も最高、街の雰囲気もクール。しかし、それでもまだ満足できない彼は更に大きなチャレンジを求め、何々の分野に志願してなんと奨学金が出るわ、研究設備の驚く程の近代性に魅了された。
 
相手が誰でも構わず、着ているスーツに説得力を持たせる所謂プレゼンテーションの類なのだ。同じ話を様々な相手に聞かせて来て、その都度聞かせた相手の顔を忘れてしまうような話しぶりだった。
 
彼は海外の短期滞在にてアメリカ式の人工的な情熱と大風呂敷広げを学んで来た田舎者と見て間違いなかった。
 
そこにはハンサムボーイから学び取った事に大げさな関心の演出もある。
「ええ?君もあの街を知っているだって?それはものすごい偶然だねえ!」 
内心、同じ大都市を訪れる人の数を知っているし、ものすごい偶然だなんて思っていない。
これもコム二ケーションスキルの宣伝だろう。
 
しかし、そういう彼が急に静かになった。
 
あまりに急に静けさが訪れ、落差が激しかった為、こちらも注意をひかれたのだ。
 
実はまだ必死に続けようとしていた。しかし言葉は彼の意に反して途切れ途切れになってしまった。一分間程頑張った後、彼は降参した。
 
降参した彼は彼自身であり、そこにはその前までとは別の人間が現れ始めていた。
 
顏には大きな葛藤が現れていた。
 
僕は彼が見る方向を見て理解した。
 
相手の女性は彼を見つめていたが、本物の個人的な関心を持って彼を見つめていたのだ。
 
彼の肩書も成績も彼女には左程興味はなかったのかもしれない。その関心は彼の人格に注がれていた。
 
僕にとってそれはそこまで目新しいものではなかった。
 
女性はおそらくオーストラリア人だったと思う。
家族と友人達に親愛の情を注がれ、独自の成長への関心を持たれて育った人間は、他の人間を見る時も、人格への強い関心を持って見る。
 
文化の違いだったと思う。
 
一方は他の誰によっても代用できない特別な存在として育っており、
もう一方は成績次第で何者かであるか、何者でもないかが決まるプレッシャーを耐えて必死に生きて来た人間だった。
 
彼は海外を経験しているような事を言っていたが、その実、恰好を真似る事に一生懸命で、他の文化にある深い価値観と出会う事がなく、不思議にも、日本に帰国してから、初めての接触を経験した、まさにその瞬間だったと見て間違いない。
 
この発見は彼をまごつかせ、深く動揺させた。
 
彼は初めて個々の「人」に対する関心を感じ、衝撃を受け、言いようも表せない深い感銘に打たれていた。
 
何かが彼の中で一瞬にして目覚め、声音が少年のように変わった。
 
彼は本当の自分を知ってもらいたいという強い願望を感じていたが、同時にそのままの自分を素直に表現する手法を何も持ち合わせていなかった。
 
独自の世界を自分の中に探したが、湧き出るものは何もなかった。
 
その何かを知った途端、彼が猛烈な憧れと渇望を感じたのは確かだった。
 
彼は本物の自分を発見してもらいたかったのだ。
 
しかし、自分のものだと感じられるものが見つからず、空を掴み喘いだ。
 
何も無かった。
 
今度はその発見は彼を一瞬にして悲しみと絶望のどん底に突き落とした。
 
出会ったばかりの希望は本来のものであり、
それを目の前に、自分の素養の貧しさを自覚しなければならないのは何とも皮肉な事だった。
 
彼は自分に向けられる明るい好奇心を見て一目惚れしてしまったのだ。
自分を同じ人間の仲間だとして見て欲しかった。
 
これほどの内心のドラマがあかの他人に見える事は非常に稀であるけれど、同じようなシチュエーションを多くの人がどこかで経験して来ているので、見えてしまう事がある。
 
無意識が求めて続けて来た究極の出会いを前に、
自分の声を探し、見つけられない中で、
これまでに一度も経験した事がない希望と絶望が衝突し合う混沌の中で喘いでいた。
 
思い込みではない紛れもない事実だった。
 
関心の目は彼の中から生まれようとするものに向けられている。それが女性が生きて来た世界では人間が生きる正当な領域であり、その事は彼女の自然体がよく表していた。
 
過去を生きて来た世界が音を立てて崩れ落ちた。
 
不思議な数分間が無言の内に流れた。
 
その間に女性の関心の目はひと時も彼を離れなかった。
 
彼は何度も不安と希望が入り混じる眼差しで彼女を見上げ、そうしている事を屈辱的に感じた。 
 
カウンターを見ようとしたが、目は自然と彼女の方に惹かれてしまうのだ。
 
静かに見つめる目はずっとそこにあり、本物であり、美しかった。
 
彼は何かを言おうとしたが、声は震え、まるで自分の声ではなく、そのまま嗚咽になってしまいそうだったのだろう、諦めた。
 
内心の動揺を隠せない事に彼はひどく狼狽した。
自制心と心のここまでの逸脱は誰も支配できないのだ。
 
嘆きなのか怒りなのか解らなかった。
絶望なのか希望なのか解らなかった。
絶望から救って欲しかった。
本物の生命への欲望もあった。
 
人生を失うか得るかの重大なチャンスの前に自分が立たされていた。
 
その時に女性の目の奥底に共感と理解の光が輝き、彼を励ました。
 
「大丈夫だから。」
 
彼女には彼の中で起こっている事が見えていた。
彼の深い秘密が見えただろう;その表情には秘密を知った者の責任感が現れていた。
彼女の手は彼の肩に置かれていた。それは、立ち会う事を伝える表現だった。
 
ようやく彼にも解った。
欲望と渇望で得ようとしなくても、別の現実は自然に当たり前にそこにあるのだと。
 
自分の生命がかかっている瞬間に、心の中を見られようと悲しみを見られようと、決して恥ずかしくはない単に人間的な事であるのだと。
悲しみの原因である悲劇にせよ些細なものではなく、実在する大きな悲劇の一部だった。
 
彼女は決して上からの目線で同情はしなかった。
彼を人間的に高く評価している事を態度で表した。
 
一目惚れに見えた事は、もう一つの世界の生きた時間の一コマでしかない事を彼は理解し、心底ショックを受けたのだったが、この事に気づいた瞬間から、彼は恋感情だと思ったものを自制した。
そういう彼は立派であり、その雄々しさは彼の本当の人格だった。
彼から多くを奪った世界は彼から全てを奪ったのではなかった。
 
世界は広かった。
過去を生きて来た世界は一体何だったのだろうか。
それを考えると絶望を禁じ得ないのだったが、
彼はこの瞬間前を向き新しい人生に吸い込まれるように入って行く事を決心したようだった。
 
苦しくはあったが、嬉しくもあった。
何もドラマチックに見せる必要もなかった。
彼は立ち上がり、悲しみを振りほどいた。
 
もう声は震えていなかった。
 
「新鮮な空気を吸いたくなったのだけど、ちょっと街を散歩しないかい?」
 
「いいわね、行きましょう。」
 
二人は金を払うと風を切って外に出て行った。
 
偶然に居合わせた僕は、最初に見たのと後で見た二つの別の顔を照らし合わせていた。
 
一人の人間が生まれ変わった瞬間に間違いなかったが、
人生にはこのような普通の一コマがあり、明日はまた変容し成長して行くのだろう。
よくよく考えれば、人は朝起きる毎に新しい自分に生まれ変わっているのであり、止まらない時間を生きる事程当たり前な事はないし、人生の中で何度でも脱皮を繰り返す生き物なのだ。